2012年12月10日

・・・的こころ

ボクがまだ子供の頃の話。



近所に酒屋さんを営んでいるおじさんがいたんですが、夕方の配達の時間になるとボクはおじさんにお願いして配達の軽トラックに乗せてもらっていました。

別にお手伝いをするワケでもなく、ただ軽トラの助手席にちょこんと座っているだけ。
でも、夕方の街を車で走るという「子供心にとって非日常」の感覚が嬉しくて、ほとんど毎日といっていいほど、配達の車に同乗していました。



もう30年も昔のコトなのに、今でもあの助手席のごわごわしたシートの感覚やタバコの臭いの染み付いた車内の煙たさ、フロントガラス越しに見た夕焼けに染まる街の景色を、ハッキリと思い出すことができます。
そして、そんな思い出の風景の中に決まって流れているBGMがあります。

それは、俳優小沢昭一がパーソナリティーのラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」

おじさんが小沢昭一のファンだったのか、配達の車内ではいつもそのラジオが流れていました。

働くお父さんの悲哀をユーモラスに語るその内容は、子供のボクにはもちろんチンプンカンプンだったんですが、軽妙なトークのリズムが「ある種の音楽」のように耳に残っていて、幼いころに見た景色とセットになってボクの心に刻まれています。



時は流れて。



今でも番組は健在で、時折ラジオをつけると流れてくる「ミヤサカさん」や「明日は○○のココロだぁ~」というお決まりのフレーズを聞くと、無意識のうちにいろんな思い出が脳裡をよぎってしまって、嬉しいやら、ちょっぴり寂しくて切ない気持ちになってみたりやら・・・と、ボクにとってなんとなく特別な存在だった小沢昭一さんが、亡くなりました。



ラジオだけじゃあなく、『幕末太陽傳』のまぬけな貸本屋や、『しとやかな獣』のインチキ帰国子女、それにワンシーンの登板ながら存在感(というか破壊力)満点だった『雁の寺』の寺の案内人役などなど、役者としてもその個性的な立ち振る舞いが大好きでした。

「ひとつの時代が終わってしまった」な~んて大袈裟でよそ行きな感想なんかじゃなく、粋な存在が消えてしまって、またひとつ世の中がつまらなくなるなぁ・・・と、そんな虚ろな思いです。

この記事を書き終わったら、『幕末太陽傳』のDVDを観直そうかな。






それにしても、今年は大滝秀治翁や青野武、それにアーネスト・ボーグナインといった、子供の頃から大好きだったお歴々が次々と旅立っていくなぁ。

「大人になる」ということは、自分だけじゃなく周りも同じ時間だけ時が流れるんだよね。
こんなことは当たり前過ぎる大常識だけど、昔から好きだった人の訃報に接するたびに、改めてその「当たり前の残酷さ」を痛感する。。。


タグ :小沢昭一

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Posted by miroku at 23:24│Comments(2)日記
この記事へのコメント
mirokuさん、こんにちは〜

私も同じです!
昔、学区外で通学してたので夕方に母の運転する車の
中でラジオ聞いてました(^。^)
ちょっと大人な内容でよく理解はしてなかったけど
あの小沢さんの声は今でも耳に残ってます^_^
ひとつの時代が過ぎて行くようでさみしいですね…
Posted by シルベスタ子 at 2012年12月11日 10:40
スタ子さん、こんばんです^^

小沢昭一さん逝去のニュースもそうなんだけど、平成も20年が過ぎていよいよ昭和が過去のモノになってきたと感じます。
友達と話していて、思い出話に華が咲いて、「え?このハナシって30年も昔なの???」って愕然となるコトがよくあったりして・・・

嗚呼ァ、求む不老不死!
Posted by mirokumiroku at 2012年12月11日 20:41
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