2015年10月25日

『野火』を観る

ロキシーにて映画『野火』を観る。





『野火』を観る








【ストーリー】
 日本軍の敗戦が濃厚になってきた、第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。1等兵の田村(塚本晋也)は、結核を発症したために部隊を追われて野戦病院へと送られてしまう。だが、病院は無数の負傷兵を抱えている上に食料も足りない状況で、そこからも追い出されてしまう羽目に。
 今さら部隊に戻ることもできなくなった田村は、行くあてもなく島をさまよう。照りつける太陽、そして空腹と孤独によって精神と肉体を衰弱させていく田村だったが…



【補足説明】
この作品は、「カニバリズム(人肉食)」が重要なテーマの一つになっています。
極度の極限状態の中、人が人を食うということの意味。人間の尊厳や狂気と正気の間(あわい)を、戦争というフィルターを通して描いた作品となっております。






原作は言わずと知れた大岡昇平による戦争小説の傑作。
1959年の市川昆版も傑作の誉れが高く、今作も「あの塚本晋也が『野火』を撮るのかッ!」と映画ファンの間ではかなりの熱量を持って迎えられた話題作が、早くも(といっても都内の公開から遅れること3ヶ月)長野にお目見えです。

昭和の市川昆版は、その時代性もあって表現もかなりオブラートに包んだ形になっていて、モノクロームの画像と主演の船越英二のなんともいえぬ退廃的な色気も相まって、ある種のファンタジー性を帯びていた作品だと個人的には解釈しているんだけれど、今回の塚本版は原作を忠実に・・・熱帯の極彩色に彩られた地獄をそのままスクリーンに再現しています。

昭和版は「物語を語る」映画だとすれば、今作は「戦場の極限状態を体感させる」映画なんだろうね。そのくらい全ての状況描写が徹底しているし、なにより「怖い」です。



兵士として敵国と闘うという目的も最早見失い、生きているというコトが「まだ死んでいない」というそれだけの意味しか持ち得ない状態のまま、故郷から遠く離れた熱帯のジャングルを彷徨う兵士たちの姿は、まるで哀しい幽鬼のよう・・・

いっそのこと死んでしまった方が楽だと思えるようなそんな絶望の中で、理性や知性、教育や文化といった人間を人間足らしめているものすべてを剥ぎ取られ、人間としてのタブーを犯してまで「生き残った」先に何が残るのか?そして、何が失われるのか?

正直、まだボクの中でこの映画の感想を明確に文章化できないでいるんだけれど、とにかく「観なければいけない映画」だったのは間違いなくて、できればたくさんの人にも触れてもらいたい作品です。

・・・ただ、この映画の性質上、戦場という状況をリアルかつ丁寧に描写したシーンが多数あるので、そういう描写に耐性のない方はご注意ください。




PS.
今作同様、戦争状況下における人間のタブーを描いた遠藤周作の『沈黙』が、あのマーティン・スコセッシ監督(!)によって映画化されるけれど、こちらもかなり「怖い映画」になりそうな予感が。。。






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Posted by miroku at 23:00│Comments(0)日記映画
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