2017年07月10日

あの日についてのいくつかの本

こんな本を読みました。



あの日についてのいくつかの本



「呼び覚まされる 霊性の震災学 3.11生と死のはざまで」

「渚にて あの日からの〈みちのく怪談〉」




どちらも、あの震災にまつわる「怪談」をまとめた本です。
震災と怪談、もしかすると不謹慎と感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、この本はそういった下世話趣味的なものではありません。


「呼び覚まされる~」は、そのちょっと怪しげでスピリチュアル臭が漂うタイトルとは裏腹に、東北学院大学の学生たちによるフィールドワークをまとめたもので、純粋な読み物というよりは学術論文に近いテイスト。
遺体の掘り起し作業を行う作業者や、行方不明者の捜索を行う地元の消防団員の活動を追いながら「震災で失われた命と向き合うということ」について迫る本作なんですが、その中で幽霊を乗せたタクシードライバーたちの証言が紹介されています。


「渚にて~」は、東北在住の作家たちによる震災にまつわる奇妙なお話を集めたアンソロジーで、こちらは純粋な怪談本。
実際の体験談もあれば創作もあって、内容はバラエティーに富んでいます。


どちらの作品にも共通しているんですが、怪異を実際に体験した人たちにとっては、目の前に現れた怪異は決して「幽霊」や「お化け」なんかでは決してないということ。
それは家族であったり恋人であったり、同じ地域に住んでいた者同士であったりと、そこには生と死という決定的な断絶はあるにせよ、感情としては「会いたかった人に逢えた」という出来事なんだと思います。

だからこそ、哀しいし切なくて。
あの震災で失われたものの大きさに、改めて胸が締め付けられます。



怪談というとどうしてもおどろおどろしいイメージがつきまとうんですが、ボクはそうは思いません。
大勢の人生が一瞬にして失われてしまったという、途轍もない不条理。
その不条理が怪談という物語の衣を纏うことによって、不条理が条理に転化するような気がするんです。
怪談として語り継がれることによって、そこに生きた人たちの苦悩と哀しみ、そして亡くなってしまった人たちの思いが他の誰かではなく「自分自身の物語」となり、より強く胸に刻まれる、、、と、そんな風にボクはそう考えていて。



ボク自身は幽霊や心霊といったものの存在には懐疑的なんですが、そういったこととは全く別の次元で、この本に巡り合えたことを心から本当に良かったと素直に思えるし、興味のある方には是非手に取ってもらいたいと感じたので、お節介とは十分承知しつつこんな風に記事にしてみました。

買って読むも良し、ちょっとお値段が張る本なので図書館で借りるも良し。
長野市図書館については、ボクが昨日返却したので、今ならきっと貸出可かと。







タグ :震災

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Posted by miroku at 00:21│Comments(0)日記
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